建築  明日館  講堂  歴史

明日館

自由学園明日館は、1921年(大正10)、
羽仁吉一、もと子夫妻が創立した自由学園の校舎として
アメリカが生んだ巨匠フランク・ロイド・ライトの設計により建設されました。

明日館建設にあたり羽仁夫妻にライトを推薦したのは遠藤新。
帝国ホテル設計のため来日していたライトの助手を勤めていた遠藤は、
友人でもある羽仁夫妻をライトに引きあわせました。

夫妻の目指す教育理念に共鳴したライトは、
「簡素な外形のなかにすぐれた思いを充たしめたい」
という夫妻の希いを基調とし、
自由学園を設計しました。

2001─

1921─1934

ホール|窓

前庭に臨むホールの大きな窓は、明日館の顔ともいえる部分です。
ライトは限られた工費のなかでいかに空間を充実させるか、
ということに尽力しました。
それはこの窓一つにも明確に表れています。

ライトは建物全体の意匠を幾何学模様にまとめ、
ホールの窓には高価なステンドグラスを使用する代わりに、
木製の窓枠や桟を幾何学的に配して工費を低く抑え、
かつユニークな空間構成を実現したのです。

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ホール|六角椅子

ホールに置かれたこの椅子は、
旧帝国ホテルで使用されていたピーコックチェアにも似た、
六角形の背に水平のスリットが特徴的です。
ライトもしくは遠藤がデザインしたと考えられます。

ライトは家具も建物の一部と考えていました。
つまり円型の建物には円を基調としたデザインを、
六角型の建物には六角形の家具というように、
常に建物と家具との調和を考えていました。

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ホール|壁画

1997年からの修理工事で発見された大きな収穫の一つとして、
明日館・ホールの壁画が挙げられます。
壁画そのものの存在は以前から古い写真等で確認されていましたが、
厚く塗られた壁の下に現在まで色鮮やかに残されていたのです。

この壁画は創立10周年を記念して、
当時、学園の美術教師を務めていた美術家・石井鶴三の指導の下、
生徒たちの手によって描かれました。

「見よ、火の柱、雲の柱・・・」
という旧約聖書出エジプト記に材をとった、
自由学園校歌の一節がモチーフとなっています。

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1921─1934

食堂

全校生徒が集まり手作りのあたたかい昼食をいただくことは、
羽仁夫妻が願った教育の基本でした。
そのため当時の学校建築としては珍しく
食堂が校舎の中心に設計されています。

ライトが設計した時点では中央のメインフロアのみで、
北、東、西の3つの小部屋は後に手狭になったため、
遠藤新が1923~24年にかけて増築しました。

保存修理工事以前は食堂の真下に台所があり、
当時はそこで当番の生徒が昼食を作っていました。
出来上がった料理を手早く食堂に上げるため、
簡易式のダムウェーターが設置されていました。

しかし、かえって手間がかかるので、
階段に列を作りバケツリレーの要領で食堂まで上げていた、
というエピソードも残っています。

修理工事以後は、新築された建物に厨房を移し、
昔の台所部分は機械室や事務室等として利用されています。

2001─

1921─1934

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1921─1934

記念室

1921年4月、まだ荒壁が残り木部の塗装もされていなかったこの教室で、
自由学園最初の入学式が行われました。

羽仁夫妻がライトに設計を依頼したのが同年1月ですから、
3ヶ月のスピード工事だったことが想像されます。

ライトは開校を祝し次のような言葉を寄せました。

「その名の自由学園にふさわしく自由なる心こそ、
この小さき校舎の意匠の基調であります。
幸福なる子女の、簡素にしてしかも楽しき園。
かざらず、真率(しんそつ)なる。
(中略)
生徒はいかにも、校舎に咲いた花にも見えます。
木も花も本来一つ。
そのように、校舎も生徒もまた一つに。」

入学式以後、授業と並行して建設工事が続けられ、
約1年後に中央棟全体が完成しました。
再開業後は1921年に完成した部屋という意味で
Rm.1921と名づけられ、
お食事会、会議、ミーティング等、
様々な用途にご利用いただいております。

講堂

敷地の南側に建つ講堂は遠藤新の設計で、昭和2年(1927)に完成しました。

生徒数の増加により中央棟のホールでは手狭になったため、
第5回本科卒業生の父母の提案により、
当時、テニスコートとして使用していた場所を敷地にあて
この講堂が完成したのです。

平成元年(1989)9月より外庇や玄関、水切、
建具の補修工事など、大規模な改修工事が行われたのち、
平成9年(1997)5月に他の3棟とともに重要文化財に指定されました。

2017─

1921─1934

2017─

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