自由学園明日館
住所:東京豊島区西池袋2丁目31-3
施主:羽仁吉一・もと子
設計:フランク・ロイド・ライト[明日館]、遠藤新[講堂]
自由教育運動と
自由学園の誕生
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当時の自由学園
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羽仁吉一・もと子夫妻
自由学園は、羽仁もと子・吉一夫妻により
大正10年(1921) に女学校として創立されました。
知識の詰込みではない、
新しい教育を実現するために作られた学校で、
生徒に自ら昼食を調理させるなど生活と
結びついた教育は
まさに大正デモクラシー期における
自由教育運動の象徴と言えます。
明日館はその自由学園誕生の校舎です。
アメリカが生んだ建築の巨匠
フランク・ロイド・ライトと、
その弟子の遠藤新の設計になる建築です。
校舎の設計
1922
中央棟・西教室棟完成
1925
東教室棟完成
1927
講堂完成
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1921年当時の外観
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ライト帰国の送別会
羽仁夫妻は、友人の建築家 遠藤新を介して、
当時帝国ホテル設計のために来日していた
ライトに校舎の設計を依頼しました。
ライトは羽仁夫妻の教育理念に深く共感し、
設計を快諾したと言われています。
大正11年(1922) に中央棟、西教室棟が竣工、
大正14年(1925) には東教室棟が完成、
昭和2年(1927) に講堂が完成し、
その年に初等部も設立されました。
自由学園移転後
「明日館」と命名
1934
学校は
東久留米市に移転
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1934
生徒数増加により、
さらに広い土地を求めた自由学園は
昭和9年(1934)
東京都東久留米市に移転しました。
その後、羽仁夫妻が自由学園と日本の教育の
明日を託して命名した「明日館」は
卒業生の諸活動の拠点として使われてきました。
幸いにも関東大震災や太平洋戦争の被害を免れ
戦後は自由学園生活学校の校舎としても使われました。
動態保存のモデルとしての再出発
1997
国の重要文化財に指定
1999
保存・修理工事開始
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大規模保存修理
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学生による壁画の修復
平成9年(1997)に国の重要文化財に指定され、
国および都、区の補助事業による
保存修理事業を行いました。
平成11 年(1999)から
平成13年(20019月に中央棟、東西教室棟の3棟を、
また平成27年(2015)1月から
平成29年(2017)7月に
講堂の保存修理(耐震対策)事業を行い、
全4棟が竣工当時へと復原されています。
建物は使ってこそ維持保存ができると考え、
明日館は使いながら文化財価値を保存する
「動態保存」のモデルとして運営されています。
そのため、次の3項目を大きなテーマとして
保存修理事業が行われました。
1. オリジナル復原(ホールの窓枠、屋根の銅板葺など)
2. 恒久性を高めるための工夫( 鉄骨による構造補強、雨漏り対策など)
3. 活用のための改善(冷暖房設備、照明設備、トイレなど)
2001
明日館
保存・修理工事終了
動態保存スタート
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現在の明日館
修理工事完了後は、
クラス会やセミナー、コンサート、懇親会などに
ご利用頂ける各部屋の貸出に加え、
TV-CM、雑誌の撮影など
さまざまな用途でご利用いただいております。
2017
講堂
保存修理
耐震対策終了
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現在の講堂